その謎は「奈良の大仏」にあり!!ってこと知ってました?
湖南市は3つの国宝のお寺の他にも、残念ながら信長に焼かれたけども残っていれば間違いなく国宝のお寺がゴロゴロあったんですよ。
でも、こんなマイナーな湖南市にそんなお寺がゴロゴロあったのはなんで?
その謎は以外にも「奈良の大仏」にあったのです!!
見出し
奈良の大仏を作った聖武天皇って、ものすごく可哀想な人なの。
7歳の時に父親がなくなり、いろいろな苦労の末に24歳で天皇に即位。
そこからが涙涙の物語りです。
天皇になってすぐに疫病が大流行!!しかも、天変地異や反乱など、見るも無残なほど都はぐちゃぐちゃに。
普通は「天皇さん可哀想!」となるとこなのに、この時代の民衆には「あんたが天皇になったからこうなったんだよ!!」と言われてしまいました。
真に受けなければいいのに、聖武さんは残念ながらくそ真面目な性格。
「私が全て悪いんだ」と真摯に受け止めてしまいました。
そうして、神にもすがる気持ちで仏教にのめり込み、仏教の力で世の中を鎮めようと本気で考えるようになっていきました。
甲賀市信楽町。ここに幻の都があったことをご存知ですか?
「なんと大きな平城京」「泣くよウグイス平安京」
この二つは歴史の時間に聞いたことありますよね?
紫香楽宮(しがらききゅう)はちょうどその間の時期に出来ました。
この紫香楽宮は、天皇に就いただけで民衆から非難ごうごうの聖武天皇が、天変地異を収めるための場所として選ばれた都なんです。
ここに大きな大きな大仏を建てて、天変地異を収めようとしたのです。
しかし!!
あちらこちらで火事が起き(都建設に反対の民衆が焼いたとのうわさ有り)、計画が進まないから諦めて、結局は都移転は幻の話になってしまいました。
そして、結局都を元の平城京に戻し、大きな大きな大仏を建てました。
これが、かの有名な東大寺の『奈良の大仏』です。
なので、紫香楽宮が焼かれなかければ、『奈良の大仏』は信楽にあったはず!!
さて、大変お待たせいたしました。ここからがやっと湖南市のお話。
仏教にのめり込んだ聖武天皇は、大仏だけではなく、いろいろな仏教の知識を取り入れようとしました。
建物や都を建てるとき、必ず気にしなければいけないのが【鬼門】です。
災いが入ってくる方向が【鬼門】と呼ばれ、仏教ではその鬼門から災いが入ってくるのを様々な方法で防ごうとしました。
これを【鬼門封じ】と呼びます。
湖南市から見たらすぐお隣の信楽。実はこの信楽の鬼門の方向が湖南市の石部や菩提寺なんです。
聖武天皇は紫香楽宮の鬼門封じのために、当時の偉いお坊さんの「良弁」に鬼門封じのためのお寺を建てるように命令しました。
それで建てられたのが、今はもう無い「少菩提寺」というお寺です。
それはまあ巨大なお寺だったそうですよ(今の東大寺くらいの大きさかな?)
しかし、そんなお寺を建てるためには、材料の木材がたくさんいりますよね。
良弁さんは、その木材を近くの石部や正福寺から調達しようとしたのですが、ただではもらえないので、「木材もらえるのであれば私がお寺を建てましょう!!」となったのだとか。
そんなこんなで、この当時(西暦700年代前半)の湖南市は、空前のお寺建設ラッシュになったのです。
しかも、建てたのが当時の超有名人「良弁和尚」。
そんな小さなお寺を建てるわけがない。ということで湖南市には立派なお寺がいっぱい出来たのでした。
その当時から引き継がれている立派なお寺が湖南市には3つ残っています。
その3つが「長寿寺」「常楽寺」「善水寺」なのです。
(本堂は何度か再建されています。また善水寺は良弁さんの建てたお寺ではないが、建てられた時代は同じ時代です)
湖南市に、国宝のお寺が3つもあるのは、こんな訳があったんです。
勉強になりました?
※あくまでも説です。また、聖武天皇の性格も「おそらく」です!ご了承ください。